誠の名のもとに
2006年 09月 14日

最近はもっぱら仕事しています。
社会人としては当たり前の行為なのですが、
仕事が続くとブログのネタが枯れますね。
まだ公表できないあんな計画やこんな計画など、
水面下ではちょっとずつ、ゆっくりと進行中です。
ときどきは(ときどきでいいですよ)
「ケダマだらけ」のチェックを
よろしくお願いします。
ということで、過去の話をひとつ。
前回、「家では高校の頃の話をしない」と書きました。
その理由が判明したので、ここにお知らせします。
僕、高校の頃の記憶をすっぽりと消失しています。
作家さんのエッセイなどを読んでいると、
「学生の頃、こんなことがあって」という話が
よく出てきますね。
武勇伝だけじゃなくて、ほんのささいな出来事とかも。
いつまで覚えてるんだそんなこと。
ははーん、話の半分以上は捏造だな。
さすが作家さんだよ。
と思いながら読み進めているのですが、
それにしてもけっこう記憶力のいい人っているもんです。
何十年も前なのにね。
よっぽどの記憶力の持ち主なのか、
よっぽどの波瀾万丈なエピソードの持ち主なのか、
よっぽどの嘘つきなのか。
とは言え、僕にも忘れられない出来事の
ひとつやふたつ……、くらいあるとは思うのですが、
なんか思い出そうとするとぼやけてしまいます。
寂しいなぁ。
自分のこと、ではなく、学校のことなら
ちょっと覚えています。
なんとなく長文になってきそうな気配ですが、
岡山のマクドナルドは夜12時まで開いているので
少し書き進めていきましょうか。
(ただいま駅前のマクドナルで更新中。
月見バーガーが意外においしかったです)
僕の通っていた高校は、
第一校歌、第二校歌などモロモロ含めて、
計6曲の「学校の歌」がありました。
6曲もあれば、そうですねぇ、
ミニアルバムくらいつくれそうな勢いですよねぇ。
入学早々、新入生はこの6曲を
すべて完璧に覚えないといけません。
ゆとり教育だの何だの言われている
このご時世ですから、
今では緩やかになっているのかもしれませんが、
僕が新入生だった1980年代は
有無を言わせずスパルタ式に修得させられていました。
お昼休み、「応援練習」と称した強制的な集会が
1週間に渡って開かれます。
全学年が講堂に集結。
壇上には強面の応援団。
あの頃だから、いわゆるヤンキー風味100%の人たち。
閉め切られた講堂は、
先生たちの目が届かない治外法権の場所でした。
応援団長が指示を出します。
「ほうじゃの〜、1年3組の15番、
『陣鼓の響』歌え〜や〜」
当てられた新入生は即座に立ち、
全校生徒が見守る中で指定の歌を歌わないといけません。
覚えていないようだと、応援団はおろか、
上級生からの野次が飛びます。
2階席からスリッパも飛んできます。
「僕は……、なんて学校に入ってしまったんだ……」
正直、地獄絵図でした。
今でこそ、あれもいい思い出だね、と笑えますが、
笑えない人もいることでしょう。
歌うことがトラウマになってしまった人も
いるのではないかと思います。
学校って、理不尽の巣窟ですね。
いろいろな種類の理不尽があって、
それを受け入れるか、無視するか、逃れるか、
自分で解決していかないといけない。
社会に出たらさらなる理不尽が待っているわけで、
そう思うと学校という場所は、
理不尽に慣れるために存在しているのかもしれません。
ひとつ思い出しました。
高校2年になったら、応援団に入ったんです。
地獄を体験した亡者が、
1年経って今度は新入生を監視する鬼の側に……。
これも理不尽の最たるものです。
だって、ジャンケンで負けて、入ることになってしまったから。
by sekiden69 | 2006-09-14 22:33











